葵の花言葉を知ると歴女になれる!隠されたストーリー

葵の花言葉を知ると歴女になれる!隠されたストーリー

葵は一般的にアオイ科に分類される植物の総称で、タチアオイやフヨウ、ムクゲ、ゼニアオイなどがよく知られています。

南国に咲くハイビスカスも葵の仲間です。たくさんの種類がある葵の仲間ですが、ハイビスカスやタチアオイに代表されるように、ひらひらとした5弁の花びらが特徴です。

葵の花は古くは万葉集から登場しますが、この時代の葵はフユアオイという草花ではないかと考えられています。

日本で古くから葵と呼ばれていたのは、小さな花をつけるフユアオイだと言われています。現在よく見かける葵はタチアオイですが、タチアオイはトルコやヨーロッパ東部を原産としたもので、江戸時代の初めに日本に入ってきたとされています。

古くから文献に登場する葵の花は、歴史的に様々なストーリーを持っています。

今回は葵の花言葉の数々を見ていくとともに、葵にまつわるいくつかのエピソードをご紹介したいと思います。有名なものから知られざるストーリーまで、花言葉とともに味わっていきましょう。

 

葵の花言葉を知ると歴女になれる!
隠されたストーリー

 

万葉集の葵を知ろう

万葉集に葵が出てくる歌は一種のみで、「梨棗(なしなつめ)黍(きび)に粟つぎ延う葛の後も逢はむと葵花咲く」というものです。

「梨や棗、黍や粟と次々に実っていくが、離れ離れの君とは今は逢えない。延び続ける葛のように後には逢おうと葵の花が咲いている」という意味です。

時代によって葵と呼ばれる植物は変化しますが、ここで読まれている葵の花はゼニアオイ科のフユアオイと考えられています。

冬にでも葉があるところからこの名がついたとされています。葉のわきから小さな花が寄り集まって咲きます。フユアオイの花言葉は「気高く威厳に満ちた美」「高貴」などが知られています。ちなみに万葉集に出てくる「あさがほ」は、アオイ科のムクゲではないかという説があります。

 

源氏物語の葵の上を知ろう

源氏物語に登場する葵の上は光源氏最初の正妻で、葵の名を持つ悲しい運命の女性です。

葵の上は東宮の妃候補として大切に育てられてきた深窓の姫君でしたが、源氏との間にはよそよそしさが漂っていました。光源氏は密かに藤壷を慕い、葵の上も年下の夫には打ち解けることができません。

時を経てようやく懐妊した葵の上ですが、源氏の愛人である六条御息所の生霊に悩まされ、ついに命を落としてしまいます。ようやく夫婦の情が芽生え始めた矢先のことでした。

葵の上には「繊細な美」「しとやかな恋人」の花言葉を持つフヨウの花が似合います。優しく清楚な印象のフヨウの花は、古来から美しい女性のたとえとして用いられています。

 

平家物語の葵の前を知ろう

平家物語の「葵女御の巻」に描かれている葵の前という女性がいます。

高倉天皇の中宮として入内した平徳子に仕えた女童が葵の前です。10代半ばの葵の前は、身分が低いけれども美しく気だてがよく、高倉天皇の寵愛を受けることになります。

ところがこの身分違いの恋が世間の噂となり、批判を恐れた高倉天皇は葵の前を遠ざけます。未練から恋煩いに陥った高倉天皇を不憫に思った藤原基房が、葵の前を養女にして身分を上げるという案を奏上しますが、高倉天皇は涙ながらにこれを断るのです。

やがて葵の前は体調を崩し、実家に戻った数日後に短い生涯を終えました。

葵の前には平安時代に渡来したと言われるムクゲの花言葉がぴったりです。ムクゲの花言葉は「尊敬」「柔和」「デリケートな美しさ」です。

 

徳川家の葵の紋を知ろう

徳川家の家紋といえば「三つ葉葵」です。

時代劇の水戸黄門で「この紋どころが目に入らぬか」と差し出される印篭に描かれているのが、葵の御紋です。

徳川家の三つ葉葵の原型は、京都の賀茂神社の「双葉葵」です。松平家が賀茂神社の氏子であったことに由来します。葵の御紋は江戸時代を通して、朝廷の御紋である菊や桐をしのいで、絶大な権力のシンボルとして機能しました。徳川以外の者が葵の紋を使用することを禁じ、違反した者は厳罰に処せられることもあったそうです。

徳川家の三つ葉葵も賀茂神社の紋と同じく、元はフタバアオイという植物をデザインしたものです。フタバアオイはアオイ科ではなく、ウマノスズクサ科の多年草で「細やかな愛情」という花言葉を持っています。

 

本多家の立ち葵の紋を知ろう

先にご紹介したように、徳川家は徳川一門以外の葵紋の使用を禁止しました。しかし家康が天下取りをする際、徳川四天王として活躍した本多平八郎忠勝の家系がもともと立ち葵の家紋を使っていたため、例外として使用を許されました。長野県の善光寺も本多家の一族であるため、立ち葵の紋が用いられています。

立ち葵の紋も、もともとはウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したものとされています。私たちになじみ深いタチアオイはアオイ科ビロードアオイ属の植物で、江戸時代初期に日本に渡ってきました。

タチアオイは江戸時代の金屏風絵にも好んで描かれ、尾形光琳をはじめ琳派の人々に愛されました。タチアオイの花言葉は「大望」「野心」「豊かな実り」などで、徳川家の繁栄にぴったりの花言葉です。

 

葵の花言葉と、葵にまつわるエピソードの数々はいかがでしたか。

一口に葵といっても、時代によって葵とされた植物が変化していることがわかります。

葵という名前は、葉が太陽の方に向かうことから付けられたとされています。「仰ぐ日」から「あふひ」となり、やがて「あおい」になったのだそうです。古くから日本ではフユアオイやフタバアオイのような素朴な草花を葵と呼んでいましたが、元禄の頃にタチアオイが渡来するとこれが葵と呼ばれるようになりました。

古来より親しまれてきた葵の歴史を深く知っていくと、いくつもの物語に出逢うことができます。

 

まとめ

葵の花言葉を知ると歴女になれる!隠されたストーリー

・万葉集の葵を知ろう
・源氏物語の葵の上を知ろう
・平家物語の葵の前を知ろう
・徳川家の葵の紋を知ろう
・本多家の立ち葵の紋を知ろう


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