御用心!シロツメクサの花言葉がちょっと怖い5つの理由


春も暖かくなると、公園や路傍でたんぽぽやヒメジョオンと並んで咲いているシロツメクサを見ることができますよね。誰しも一度は小さい頃にシロツメクサでかんむりやネックレスを作って遊んだり、四つ葉のクローバーを探したりといった経験があるでしょう。

あの丸くて愛らしい白い花や、幸運の象徴ともいえる四つ葉のクローバーを持つシロツメクサの花言葉は「幸福」「約束」「私を思って」「私のものになって」。どれも幸せでロマンチックなものばかりです。

そんなシロツメクサは、実はちょっと怖い花言葉も持っているのです。それは「復讐」。意外すぎるその花言葉にぎょっとしてしまう人も多いことでしょう。

なぜシロツメクサは復讐なんて花言葉を持っているのでしょうか。そこで今日はシロツメクサの花言葉がちょっと怖い5つの理由についてお伝えします、ではご覧ください。

「私のものになって」という「約束」を破ると「復讐」

花言葉は、一つの出来事やシーンを象徴する複数のものが付けられることがたびたびあります。シロツメクサもまた同じように、先述した花言葉で物語を作ってみると、「復讐」が生まれた背景を読み解くことができます。

ある女の子が思いを寄せていた仲良しの男の子に「大人になるまで私を思って、将来私と結婚してね(私のものになって)」と約束を交わしました。

A.男の子は約束を守り、女の子は「幸福」を得ました。

B.男の子は大人になって約束を忘れてしまい、叶わぬ思いが女の子を「復讐」へと駆り立てました。

このように考えると、そぐわないと思われていた復讐の花言葉も、しっくりとくるから不思議です。幸福と復讐は表裏一体にあるものだと、再認識させてくれる意義深い花言葉に心を揺さぶられることでしょう。

 

アイルランドでの布教活動で使われた「四つ葉=十字架」

433年、聖パトリックという司教がアイルランドでキリスト教の布教活動を行いはじめました。彼は、シロツメクサ(カタバミだったといわれています)の三つ葉で三位一体を、四つ葉で十字架を表現し教義を広めました。一説によると、元々三つ葉は幸運の象徴として広く認知されていたため、シロツメクサをシンボルとすることでアイルランドでも受け入れやすかったとのこと。

この話が、どう「復讐」につながるのでしょう。答えは四つ葉で表現された十字架に隠されています。

十字架はキリストが絡むと「奇跡」が前面に出てくるのですが、これはそもそも人間を磔にすることが目的の道具です。人を磔にする、多くの民衆の目に晒したい、こういった気持ちはすべて負の感情から生まれてきます。騙された、大切な人を奪われた。富や名声に傷をつけられた。そういった被害があってこそ、十字架に磔にされる事案が出てきます。

その被害者が加害者を磔にしたいと思う気持ちの根っこには、必ずといっていいほど「復讐」が存在します。その復讐心を十字架に見立てた四つ葉からくみ取られたのではないかと推測することができます。

 

アイヌの伝説の物語に見られる「復讐」

北海道の先住民族であるアイヌに伝えられている物語に、興味深いものがありました。

川のほとりにある部落の酋長にはイルチヤロという美しい娘がいました。その部落の近くには大きな沼があり、いつからか主が住んでいました。彼はマスともカムイとも言われ、誰もその姿を見たことはありませんでした。偶然、沼の近くを通りかかったイルチヤロに一目ぼれした沼の主は、誠意を尽くしてアピールし、二人は恋仲となります。

沼の主と逢瀬を重ねるようになったイルチヤロは、日ごとに痩せていくようになりました。酋長や家人たちにもその理由は分からなかったのですが、許嫁のチタライによって沼の主のせいだと判明します。そこで、酋長とチタライは沼の主を毒矢で暗殺する計画を立てました。イルチヤロはその話し合いを耳にして沼の主に伝えますが、いい対抗策が浮かばぬまま月日が過ぎてしまいます。

その結果、酋長とチタライは暗殺を成功させることができました。しかし、沼の主に毒矢が命中した直後、大渦が起きてチタライは飲み込まれてしまいます。ほどなくして酋長も巻き込まれ、様子を見守っていたイルチヤロも沼に身を投じてしまいます。

その後、豊漁だった川では魚が獲れなくなり、沼のほとりにはシロツメクサが咲くようになりました。

この物語の中で気付くことがあります。そう、シロツメクサの花言葉がこの中に隠されているのです。

・「私のものになって」とイルチヤロに言い寄った沼の主

・恋仲になったイルチヤロと沼の主の束の間の「幸福」

・酋長とチタライが交わした「約束」

・許嫁を取られたチタライ、イルチヤロとの間を引き裂かれた沼の主、それぞれの「復讐」

シロツメクサにまつわる伝説だからこそ、花言葉の由来を垣間見ることができます。

 

踏まれて四つ葉が生まれるシロツメクサの特徴

たくさんの三つ葉のなかから四つ葉のクローバーが生まれる理由を知っているでしょうか。それは大きく2つのパターンが考えられます。

一つは遺伝的要因。家族や親戚に双子がいると、自身も双子に恵まれる可能性が高くなります。それと同じように、遺伝子に突然変異が見られ、四つ葉が生えやすくなります。もう一つは、成長点が傷つくことによってそこからもう一枚の葉が出てくることです。道端や公園など、踏まれる確率が高いところで四つ葉が見つけやすいのはそういう理由からです。

ひっそりと路傍に咲いているにもかかわらず、次から次に踏まれてしまい傷つけられてしまいます。それでもそれをバネにして幸運の四つ葉を生み出すのです。スペインには「幸福に暮らすことが最大の復讐である」ということわざがあります。シロツメクサの生き様そのものといっても過言ではないでしょう。こう考えると「復讐」という花言葉も明るく前向きなものであると思えます。

 

「不幸が訪れる」二つ葉との関連

実は、シロツメクサだけでなく、二つ葉にも「不幸が訪れる」という怖い花言葉がついています。「復讐」と「不幸が訪れる」。この二つは何か関連があるのではないかと考察してみました。

聖パトリックが三つ葉を三位一体になぞらえて教義を広めたことは先述のとおりです。その三位一体とは、「父」と「子」と「聖霊」で、神がその三つの姿で現れたことを指します。その一つでも欠けてしまったら……。そう意味づけると、二つ葉のクローバーは不幸が訪れるとされるのも頷けます。

人は信仰の対象を失うと、正しい判断や自分の立ち位置がつかめなくなり、負の感情にとらわれやすくなってしまいます。負の感情がこじれた先に待っているのは「復讐」。信じていたものに裏切られた喪失感が復讐へといざなうのです。これは何も宗教に限った話ではなく、両親や尊敬する人、友人関係でも当てはまります。

信じていたものを失って得た不幸の訪れと復讐、この二つは同じ根っこでつながっていると考えると、すんなりと受け入れることができるかと思います。

 

さて、シロツメクサの「復讐」という花言葉は、意外すぎて余計に恐怖を感じてしまいますよね。しかし、その背景にある理由を考えていくことで、シロツメクサについてのいろいろな伝承や史実を知ることができ、想像力を駆り立てられ、思いを巡らせることで楽しむことすらできます。

今回はシロツメクサの「復讐」でしたが、ほかにも怖い花言葉を持つ花はたくさんあります。どうしてそうなったのか調べてみるのも、その花を深く知るための良いきっかけになるかもしれません。

まとめ

シロツメクサのちょっと怖い花言葉

・「私のものになって」という「約束」を破ると「復讐」
・アイルランドでの布教活動で使われた「四つ葉=十字架」
・アイヌの伝説の物語に見られる「復讐」
・踏まれて四つ葉が生まれるシロツメクサの特徴
・「不幸が訪れる」二つ葉との関連


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